和菓子の「元祖」:最初期の駄菓子
駄菓子の定義と歴史的背景
「駄菓子」という言葉には、古くから人々に親しまれてきた、手軽で安価なお菓子というイメージが定着しています。しかし、その「駄菓子」の「元祖」とも言える最初期の形態は、現代のイメージとは少し異なるものでした。歴史を遡ると、現代の駄菓子に通じる要素を持つ、庶民のおやつとしての菓子が存在したことがわかります。
駄菓子の起源を語る上で、まず「駄」という字義に注目する必要があります。「駄」は、「役に立たない」「価値が低い」といった意味合いを持つことがあります。しかし、駄菓子の文脈では、「駄」は「塵(ちり)」に通じ、些細なもの、日常的なものという意味で捉えられます。つまり、駄菓子とは、日常的に気軽に楽しめる、ささやかなお菓子であったと言えるでしょう。
日本における菓子の歴史は古く、奈良時代にはすでに唐菓子などが伝来していましたが、これらは貴族や寺院で食されるものであり、庶民が気軽に口にできるものではありませんでした。庶民が菓子を食する機会が増えたのは、江戸時代に入ってからです。都市部を中心に経済が発展し、町人文化が花開く中で、様々な娯楽とともに菓子も多様化していきました。
最初期の駄菓子とその特徴
江戸時代に庶民の間に広まった菓子の中でも、特に「駄菓子」の源流と見なせるものは、「せき止」や「べっこう飴」のような、素朴でシンプルな製法のものが挙げられます。これらの菓子は、現代の駄菓子のように工場で大量生産されるのではなく、職人が手作りで製造していました。
「せき止」は、主に米粉や小麦粉を水で練り、焼いたり蒸したりして作られた、非常にシンプルな菓子でした。地域によって材料や形状に違いはありましたが、基本的には甘味を抑え、素朴な味わいが特徴でした。これは、当時の人々が、現代のように精製された砂糖をふんだんに使うことが難しかったためです。
一方、「べっこう飴」も、初期の駄菓子の代表格と言えるでしょう。これは、砂糖を煮詰めて作る飴であり、その琥珀色の見た目から「べっこう」と名付けられました。材料は砂糖と水という非常にシンプルなものでしたが、飴を煮詰める技術が完成度を左右しました。職人の熟練の技によって、パリッとした食感や香ばしい風味が生み出されました。
これらの最初期の駄菓子は、「あめ屋」と呼ばれる職人たちが、街角や縁日などで実演販売することが一般的でした。職人が目の前で飴を練り、形作っていく様子は、人々の目を楽しませ、エンターテイメント性も兼ね備えていました。
製法の詳細:シンプルさの中に光る技術
最初期の駄菓子の製法は、現代の基準から見ると驚くほどシンプルです。しかし、そのシンプルさの中に、素材の味を最大限に引き出すための工夫や、職人の経験と勘が活かされていました。
「せき止」の製法
「せき止」の基本的な製法は、米粉または小麦粉を水で練り、団子状にするか、平たく伸ばして、焼いたり蒸したりするものでした。
- 材料:米粉、小麦粉、水。地域によっては、木の実などを混ぜ込むこともありました。
- 工程:
- 粉と水を混ぜ合わせ、生地を作る。
- 生地を団子状に丸めたり、平たく伸ばして、指で押して模様をつけたりする。
- 火にかける。焼く場合は、鉄板や炭火でじっくりと。蒸す場合は、蒸し器を用いる。
- 焼きあがり、または蒸しあがったら完成。
生地の水分量や火の通り具合は、食感や風味に大きく影響するため、職人の経験が重要でした。また、香ばしさを出すために、表面を軽く焦がすこともありました。
「べっこう飴」の製法
「べっこう飴」の製法は、砂糖を加熱することに集約されます。
- 材料:砂糖(主に黒砂糖や白砂糖)、水。
- 工程:
- 鍋に砂糖と少量の水を入れ、火にかける。
- 絶えずかき混ぜながら、水分を飛ばし、焦がさないように煮詰めていく。
- 飴状になり、色が琥珀色になったら火から下ろす。
- 型に流し込んだり、棒に絡めたりして冷ます。
砂糖の種類によって、仕上がりの色や風味が異なります。黒砂糖を使うと、よりコクのある深い味わいになります。煮詰める温度と時間が、飴の硬さや食感を決定づける最も重要な要素でした。温度が高すぎると苦味が出てしまい、低すぎるとべたついた仕上がりになります。職人は、鍋の音や飴の気泡、色合いなどを頼りに、最適な状態を見極めていました。
また、「べっこう飴」に風味を付けるために、生姜の絞り汁やシナモンなどの香辛料が少量加えられることもありました。これは、単調になりがちな甘さを引き締め、食欲をそそる効果がありました。
最初期の駄菓子が与えた影響
最初期の駄菓子は、安価で手軽に楽しめるという点で、当時の庶民にとって貴重な娯楽であり、日々の生活に彩りを与えました。子供たちにとっては、お小遣いで買える数少ないお菓子として、特別な存在でした。
また、これらの菓子は、素材の味を活かした素朴な美味しさを追求しており、和菓子の根幹をなす考え方にも通じます。現代の多様な和菓子が発展していく上での、土台となったと言えるでしょう。
さらに、「あめ屋」のような職人による実演販売は、見ているだけでも楽しいものであり、地域コミュニティの交流の場としても機能していました。これは、現代の「体験型」のエンターテイメントの原型とも言えるかもしれません。
まとめ
駄菓子の「元祖」とも言える最初期の菓子は、現代のイメージするカラフルで多様な駄菓子とは異なり、米粉や砂糖といったシンプルな材料を使い、職人の技によって作られた素朴な味わいのものが中心でした。しかし、その手軽さと価格、そして職人の技術は、庶民の生活に喜びと彩りをもたらし、後の駄菓子文化の礎を築きました。これらの菓子は、和菓子の原点とも言える素材の味を活かすという精神を受け継いでおり、現代に繋がる和菓子の発展において、重要な位置を占めています。
