
私の実家は街の外れにあり、周りは農地だらけでした。小学生ぐらいまではまだ砂利道も残っており、少しの雨で靴やズボンの裾がドロッドロになっていました。実家はもちろん農家です
同時期にはバキュームカーも走っていて、こちらも小学4年ぐらいまでは走っていたようです。いわゆる汲み取り式ってやつです。
大蛇のような巨大なホースが、大きな音を立てながら庭の奥まで入ってきます。なぜか作業員の方がホースの先を手で覆っているので、小さな頃掃除機で遊んだように、ホースが右へ左へのたくっています
通っていた小学校は地域でも大きい学校でした
私の住んでいるところも街になり始めていたと思います。
そんな時代の正月ですから、今とは違います。特に農家ではおもち等は自分で作ります。まずもち米・コメの苗を一定量用意・田植え・収穫でもちの原料となるもち米が出来ます。
もち米は蒸す必要があるのですがかなり大きな「せいろ」しかありません。1回でつく餅の量が多いんだと思います。カマドは流石にありません。うちの周りでも残っているのは2軒のみ。
どうするのかな、と思っていたら簡易カマド?が出てきました。簡易と言っても今市販しているような物ではなく、小学生が1人入れるぐらいの代物です。当然鍋も大きく湯気の量もバッチリです。
そこに5段6段の「せいろ」が乗り、見ているだけでも迫力がありました
蒸しあがった物をそのまま「おこわ」としても頂きました。
すこし離れたところに石臼も用意されています。いよいよ餅つきです。
杵を濡らして、掛け声と共にテンポよく突いていきます。杵つきの場合機械と違ってまだつぶつぶが残っています。ある年から機械になって作る量も減りました。機械は固まるのが早いです。丸餅だけを作るには良いでしょう
当時はのし餅、鏡餅、丸餅にあんこ入、よもぎを練り込んだもの等を作っていました。家族や親戚と正月を祝うためです。大きめ餅箱を2山程積んでたのでかなりの量あったはずです
鯖寿司も親戚のものまで入れると80本作っていました。こちらも一からなので、かなり手間がかかったと思います。
私の役は、竹の皮を並べ、酢飯を押寿司器で形成し、竹の皮に一つずつ置いてゆくことです。前後のことは親がやります。先に酢飯だけを置いて行くんですが、その後皮や身を乗せ竹の皮をキチキチに巻くことで、開いたときに、酢飯・皮・身がしっかり馴染んでいます
他にも大掃除などのイベントが有りますが、食品とは関係ないので終わります。

